計画から半世紀、奈良「
大滝ダム」完工式
読売新聞 3月23日(土)17時33分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130323-00000542-yom-soci








1959年の伊勢湾台風による水害を教訓に、
国が奈良県川上村の吉野川(紀の川)で建設していた
多目的ダム「
大滝ダム」(総貯水量8400万トン)の完工式が23日、
同村で行われた。
計画から半世紀を経ていて、
国土交通省によると、完成に要した期間は
国のダムで最長クラス。
総事業費は、
立ち退き地域拡大などで当初の
230億円から約3400億円増え、
3640億円に上った。
ダムは奈良、和歌山両県の計12市町村の
治水、利水のため、60年に予備調査を開始。
65年に着工し、493世帯が立ち退いた。
しかし、2003年の試験貯水で周辺に地滑りが起き、
さらに37世帯が移転。対策で完成は10年遅れた。
過疎化も進み、川上村の人口は
1960年の約7600人から約1700人に減った。
【キーワード】
大滝ダム(おおたきダム)は
奈良県吉野郡川上村、
一級河川・紀の川本流上流部に建設されたダムである。
国土交通省近畿地方整備局が管理する
高さ100メートルの重力式コンクリートダム。
伊勢湾台風による
紀の川の大水害を機に紀の川の治水と、
上流の大迫ダムなどと共に
奈良市・和歌山市などへの利水、
および出力1万500キロワットの水力発電を目的とした
特定多目的ダム法に基づく特定多目的ダムである。
計画以来地元の反対運動が激しく
補償交渉が極めて長期化したほか、
完成直前に貯水池斜面が地すべりを起こして
対策に時間が掛かるなど
完成までに50年の歳月を費やした
日本の長期化ダム事業の代表格。
2004年(平成16年)に利水目的の暫定供用を開始し、
2012年(平成24年)6月に治水目的の供用が開始された。
ダムによって形成された人造湖には、
まだ名称が付けられていない。
大滝ダムが計画発表された当時、
川上村では同じ地域に
3ヶ所のダム計画が進められるという特異的な状況であった。
既に1954年より大迫ダムの建設が開始されていたが、
大滝ダムの他に奈良県営水力発電事業の一環として
大迫ダム上流の川上村入之波地点に
「入之波ダム計画」が進められていた。
「入之波ダム計画」は後に
大迫ダムに発電目的を加えることで計画中止となったが、
大滝ダムについては村の中心部、
399戸が完全に水没する他関連移転を含めると
475世帯が移転を余儀無くされる。
既に大迫ダムで151世帯が水没する上、
これ以上のダム建設は村の存亡に関わるとして
計画発表と同時に村を挙げての猛烈な反対運動が巻き起こった。
(wikipediaより)PR
COMMENT