笑福亭鶴瓶が断言
中島知子は「今のままでは仕事無理」
スポーツ報知 4月12日(金)7時3分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130411-00000235-sph-ent







松嶋尚美(41)が11日、
中島知子(41)との
お笑いコンビ「
オセロ」の解散をブログで発表した。
都内で中島と約1時間半、2人きりで話し合い、中島とのツーショット写真とともに「2人で出した結論です。今、解散します!!」と報告した。
また、中島が所属していた松竹芸能の先輩で落語家の
笑福亭鶴瓶(61)が、この日、都内でスポーツ報知の取材に答えた。
オセロ解散の発表前に対応した
笑福亭鶴瓶は、中島と騒動発生後は一度も会っておらず連絡もないという。
「まあ、自分のところに電話がくるくらいだったら、もうマトモになってるということだからね」と、
中島の洗脳は、まだ解けていないとみている様子。
2度のテレビ出演は、すべては見ていないそうだが
「痛々しかっただろ? あの状態でテレビに出すのが問題なんだよ」
と本人と同時に周囲の関係者にも苦言を呈した。
笑福亭鶴瓶は「オセロ」の2人をデビュー時から娘のようにかわいがってきた。
それだけに、中島の現況には心を痛めている。
「あれがもし、自分の身内だったらどう思うか考えてみい?
見ててつらいところがある」と悲しげな表情を見せた。
中島は芸能活動に復帰することにも意欲をみせている。
「もし自分を頼ってきたら、それはバックアップしますよ。
ただ、今のままでは、仕事をするのは無理だろうからね」と鶴瓶。
洗脳から解放されれば、救いの手を差し伸べるつもりであることを明かした。
【キーワード】
笑福亭 鶴瓶(しょうふくてい つるべ、1951年12月23日 - )は、
日本の落語家(6代目笑福亭松鶴門下)、お笑いタレント、俳優、
歌手、司会者、ラジオパーソナリティである。
本名、駿河 学(するが まなぶ)。
出囃子は「トンコ節」(かつては「拳」)。
兵庫県西宮市甲陽園地区在住。
公益社団法人上方落語協会副会長。
大阪府中河内郡長吉村長原(現在の大阪市平野区長吉長原)出身。
5人兄弟の末っ子で浪速高等学校卒業。
高校在学中、当時大阪で人気だった笑福亭仁鶴や桂三枝(現:6代目桂文枝)に刺激されて、
高校に落語研究会を作る。
京都産業大学経済学部に進学するも中退。
大学時代は京都産業大学落語長屋という落語研究会に所属しており、
童亭 無学(どうてい むがく)を名乗る。
一時期はここでの芸名を本名であるスルガ・マナブと名乗ったこともある。
この落語研究会であのねのねの原田伸郎と出会い、清水国明を含めた3人で音楽活動をする。
弟子入りのきっかけは、入門前のある日、安井金比羅宮で開かれた米朝一門の落語会での6代目笑福亭松鶴の行いを見たことだという。
高座に上がった松鶴は「あっ!」と固まった後、見えた僧侶を示して「あの坊さんの頭見たらネタ忘れてもた。オチだけ言うて降りま」と言い、本当にオチだけを言って2分ほどで降りてしまった。
それを見て「エライ人や」と思い、松鶴への弟子入りを決めたという。
1972年2月14日、11番弟子として入門(現在は7番弟子)、「鶴瓶」の名を与えられる。
同年9月26日に島之内寄席にて「東の旅発端」で初舞台。
内弟子になっても師匠から全く稽古を受けられず何としてでも活動の場が早く欲しかった鶴瓶は、超能力(透視とスプーン曲げ)が使えることを松鶴に打ち明け、
鶴瓶の超能力を目の当たりにした松鶴は驚愕し「ウチに超能力を使う弟子がおる」と松鶴自らがテレビ局に鶴瓶を売り込む。
当然ながら超能力はテーブルマジックの類で、周囲に仕掛けを漏らしつつ頭から超能力を持つ弟子と信じ切っている松鶴という場面に持ち込み、
必死になって売り込む松鶴に便乗して業界関係者に顔と名前を覚えてもらい、
これを手がかりにテレビ、ラジオと進出する足場を作る。
後に兄弟子の笑福亭仁鶴が鶴瓶のイカサマ超能力を暴き、
梯子を外された格好になった松鶴は体よく利用され、騙されていたことに苦り切る。
初のレギュラー番組は近畿放送(現KBS京都)の『丸物ワイワイカーニバル』で、
以降、近畿・中京地区でラジオ・テレビを中心に活躍。
大阪芸能界の先輩からも所属事務所を問わず可愛がられ、
松竹芸能所属であるにもかかわらず桂三枝(現:6代目桂文枝)がメイン司会の吉本興業系列の番組に出演するなど、
吉本と松竹が強い対立関係にあった当時としては異例の存在であった。
その後東京へも進出を図る。2001年にコカコーラとのタイアップで、
日本テレビと吉本興業が組んで制作されたドラマ『明日があるさ』にも、
鶴瓶が松竹芸能からただ一人ゲスト出演するなど、所属事務所の垣根という面においては別格の存在である。
1975年、東京12チャンネルの番組生放送中に、股間を露出するなどの問題行動を起こす(詳細は下記を参照)。
同局から無期限の出入り禁止とされたため、東京進出は失敗に終わる。
その後、出入り禁止は解除された。
1982年から4年間続いた毎日放送の『突然ガバチョ!』の司会で再び脚光を浴び、
毎日放送のキー局であるTBSでも遅れネットで放送が開始されるも、
関東では人気不振の為、わずか4カ月で打ち切りとなった。
『突然~』が関西以外の地方でもネットされたのがきっかけとなり、1986年に東京へ再進出。
だが、出演番組が早々と打ち切られることも多く、当時の週刊誌にも「再び東京進出失敗か」と叩かれた。
ちなみにこの頃、鶴瓶が地元の電車に乗車している際に、このような記事の見出しが書かれた週刊誌の中吊り広告の真下に鶴瓶本人が立ってしまい、
近くにいた乗客に「あんた、笑ってる場合やないよ。上見てみ」と指摘され、初めてそれに気づいたというエピソードがある。
しかしながら、ビートたけしが「この男を大阪に帰らせてはいけない」と鶴瓶を東京に留まらせた。
TBS系列の『世界No.1クイズ』が打ち切りになった時、
当時面識はないものの鶴瓶の才能を認めていたビートたけしが、
『世界No.1クイズ』を制作していたイーストの重役に対して
「このまま大阪に返したら、イーストは笑われるぞ」
「鶴瓶を活かせないような制作なら、お前らの仕事なんかしねえ」
と鶴瓶をバックアップするように助言した。
このことは後に鶴瓶自身が『いろもん』の中で語っており、
「それ以来、たけし兄さんには頭が上がらない」とのこと。
後にテレビ番組『鶴瓶上岡パペポTV』が全国放送化されて以降は、全国区の人気を得るようになった。
(wikipediaより)